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【あつ森】一度は行きたい!エッフェル島大特集<前編>

※この記事は「あつまれどうぶつの森」における自分の島の紹介のために書いた100%妄想記事です。

 
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 こんにちは、フリーライターのナナシ君です。

 今日は最近話題の離島、エッフェル島にやってきました。フランボワーズ諸島の1つであるこの島は、ゆったり過ごせる観光地として人気を集めています。

 エッフェル島に人々に愛される理由とはなんなのか?その謎に迫るべく、まずは島の歴史を紐解いていきましょう。

  

無人島移住パッケージ」

 エッフェル島に人が住み始めたのは意外に最近の出来事で、10年前にたぬき開発が提供している無人島移住パッケージの移住先として選ばれたことがきっかけでした。


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 今ではたぬき開発の代名詞とも言えるこのパッケージプランですが、考案したのはたぬき開発社長・たぬきちさんです。

 もともと一商店の店主だったというたぬきちさんは、当時の経験がこのパッケージプランに影響を与えていると言います。彼が商店を構えるようになったのは、20年ほど前のことです。

「いやあ、開店初日のあの日のことは忘れられないですね…僕の長年の夢だったので」

 たぬきちさんの笑顔からも、当時の嬉しさが伝わってきます。

「今と比べると随分こぢんまりとした商店でしたが、村人のみなさまのおかげでそこそこ軌道にのってきて。大きな転機は不動産業を始めたことでした」

 村への移住を誘致し、実際に引っ越しを決意してくれた方には家と仕事を提供する――現在の無人島移住パッケージの原型とも言えるこの「移住パック」は、人口減少に悩む村長との会話の中で生まれました。

「導入したのはいいんですけど、はじめは結構苦労しましたね。村に住むにあたってどれくらいの仕事を与えて、どれほどのローン価格設定にするか…っていう塩梅がなかなか難しくて。度々住民の方からクレームがあがってきて、朝まで議論!なんてこともありました。おかげで、そのあたりのバランス感覚は身についたかなと思います」

 住民たちの協力もあり、移住パックは大成功。そこで彼は"地方創生"の魅力に気づいたといいます。

「僕が来たときよりもずっと村が賑やかになって、お社を囲んでお祭りまで開催されるようになって。それを見たとき、こみ上げるものがありました。その土地に住む人々とともにコミュニティを作り上げる仕事というものに、一気に魅せられてしまいました」

 ここからたぬきちさんは各村を転々とし、それぞれの村を住みよい形へと発展させてきました。今ではたぬきちさんの名前無くしては地方創生を語れないほどです。

 そんなたぬきちさんが満を持して発表したのが、無人島移住パッケージです。

「一度、0から村を起こしてみたいとずっと思っていたいんです。知り合いから、フランボワーズ諸島の話を聞いたときに『これだ!』と思いましたね。気候は温暖、自然豊かで食物も育てやすい。そんな美しい島々で私たちどうぶつのコミュニティを作りたくて、このパッケージを考案しました」

 

失敗した過去

 

 無人島移住パッケージの第一弾として移住がスタートしたエッフェル島。移住してすぐに、住民たちとの議論の上、当時の"リゾートバブル"に乗っかった島全体の大型リゾート施設化計画が持ち上がりました。

 当初からこの計画に反対していたのは、現在もエッフェル島で博物館を運営しているフータさんです。


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「たぬき開発さん及び住民の方々とはかなり衝突していましたね。この諸島は穏やかな気候に加えて台風や地震のような自然災害が少なく、そして捕食動物が少ないんです。そうするとどうなるかというと、貴重な昆虫類や魚の宝庫となっているんですね。それらの保護を完全に無視した、派手なリゾート化計画には大反対でした」

 しかしフータさんの奮闘も虚しく、島民投票によってリゾート化計画は可決してしまいます。

 フランボワーズ諸島の中でも屈指の美しさをほこり、「フランボワーズの宝」と呼ばれていた西海岸から工事はスタート。ところが、西海岸の工事が完了する前にリゾートバブルが弾けてしまいました。

 残されたのは、工事の残骸と汚れてしまったビーチのみ。フータさんは開発を1から見直すべく、島民とたぬき開発の社員を集めて改めて議論を持ちかけました。

 その議論に参加していた島民の1人・ピティエさんはを当時を振り返ります。

「みなさんかなり落ち込んでいました。華々しい計画が頓挫してしまった、ということもありますが、あれほど美しかった西海岸があまりに荒れてしまったものだから…急に夢から醒めたような気持ちになりました。そんなときフータさんが立ち上がって、自然保護活動と開発の両立を訴えられたんです。以前は否決されてしまった考えでしたが、今回は反省の念もあり真剣に聞き入れられました。最近は居眠りの姿も見かけられるフータさんですが、あの頃はとっても熱い方だったんですよ(笑)」

 そこからフータさん主導で自然保護プランを作成、そしてそれに沿った「自然と共存可能な」開発計画が練られました。汚染されてしまった西海岸については、近隣住民の積極的な活動により再びその美しさを取り戻すことに成功しました。


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 ちなみに、今でもこの自然保護プランは島の暮らしに組み込まれていて、例えば島民の方々に支給されている「たぬポータル」には、木や花を植えることで特別なポイントを得られるシステムが搭載されているそうです。
 現在のたぬき開発が島の一方的な"開発"ではなく、"共存"にこだわるのには、過去の反省に基づいているからでした。

 

 このような歴史を辿って発展を遂げてきたエッフェル島。次回はいよいよ、エッフェル島の魅力に迫っていきたいと思います。